●『流れる雲よ』八日目

9月6日(月)のお手伝い時間の短縮により、その補填も兼ねて10日(金)の今日も夜の部を手伝うことにした。昨日観客に交じってAチームを観劇、今日も夜の部はAチーム。チケットもぎりやアンケートの処理などを終えると、ロビーのTVモニターで観ることができた。できればアトリエッジメンバーのBチームを観たかったがやむを得ない。生の舞台と液晶モニター、昨夜と今夜の違い。同じ内容を演じているのに、セリフを聞いていると、俳優の調子の具合が伝わってくる。お客様の中には、昼夜と連続して観てくださる方もいて、そんな違いも味わっているかもしれない。泣き所のシーン、脚本とセリフの内容とその演出。テーマは何か? BEBEさんこと草部文子のラジオドラマ脚本から始まったこの『流れる雲よ』に関わることになって、私が考えさせられたこと。日本国民にとっての終戦日とは、第二次世界大戦(大東亜戦争・太平洋戦争)の1945年8月15日。玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。そのラジオと声をヒントに、このドラマは作られたのかもしれない。当時の"神風特攻隊"が現在のイスラム世界における自爆テロの手本になっていること、それが勝戦国アメリカの"9.11"の攻撃に使われたこと。因果は巡っている。戦争という名目の下で、人類最大の無差別攻撃である"原爆"が、アメリカによって日本国の広島県と長崎県に2度も投下されたこと。「9.11」に敏感になっているのは、キリスト圏のイスラム圏に対する宗教的対立の恐れと怒り。日本人は原爆に対しての怒りを水に流したのだろうか?
舞台のクライマックスでは大道具として"鳥居(靖国問題を含む)"が使われた。『流れる雲よ』は、神道から世界問題を連鎖して考えさせるグローバルな舞台だ。

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